フォクシングと虫食い

今回は浮世絵版画に見られるフォクシングと虫食い。

下の画像は三代豊国画「清水清玄」「下部淀平」。すでに登場した歌舞伎「恋衣雁金染」の役者絵だ。

まず左の作品の右下、清玄の足元には拡大しなくても大小多数の褐色の斑点が見える。カビ(糸状菌)。かなり盛大にカビている。右側が拡大図。この斑点が散りばめられる状態が狐(fox)の体毛の模様に似ているところからフォクシング(foxing)という。日本では「星」という呼び方もあるらしい。

香蝶楼豊国画 清水清玄・下部淀平(部分)BlueIndexStudio所蔵
香蝶楼豊国画 清水清玄・下部淀平(部分)
BlueIndexStudio所蔵

カビは埃(塵)や微生物と高温多湿の組み合わせで発生するため、日本のようにクローゼット用に湿気取りが売られている国では防ぎようがない。

大昔、エッチングの修復をした時は支持体が洋紙(コットンパルプ)で、フォクシング除去はアンモニア水に浸して専用スポンジでさするようにして、あっさりきれいになった記憶がある。幕末の錦絵に使われた奉書紙はそれ以前に比べて丈夫になったとはいえ、洋紙のような扱いはできない。部分的に無水エタノールを試してみたい気もしますが、何より変色が心配でいまだに触れない。

さらに清玄の足の指下方には虫食いの穴。清玄の右足指先や淀平の膝と加賀安印の間にも大きなミミズのような虫食いあとがある。

虫食いの方はすこしだが裏張りの跡がある。

香蝶楼豊国画 清水清玄・下部淀平(裏面部分)
BlueIndexStudio所蔵

左側、清玄の足のちかくに一箇所、その並びにもう一箇所と下にも一箇所、濃い目のベージュの紙の色が見える。契った和紙を裏からミミズ上の穴に貼り付けたようだ。こちらで売られる錦絵作品にはポスターやダンボールを裏から貼り付けられた状態を見かけることも度々なので、この作業は日本にいるうちに行われたか、あるいは少しでも知識がある人の手で行われたと推測する。

紙の保存は本当に難しい。何かできることがないかと見るたびに思うのだが…

紙の本のジレンマ

数年ぶりの紙の本。

近所にちいさなちいさな本屋さん、開店当時から気に入っている。というのもショーウィンドウの書籍紹介や店内の本に添えられたキャプションに本好きオーナーの情熱が溢れているから。

ある日、一冊の本が目にとまった。タイトルは『The Narrowboat Summer』。イギリスの産業革命の頃、イングランドとウェールズで狭い運河の貨物輸送用に使われた極端に幅のせまい、ひょろ長い船のことをナローボートという。

こちら、のどかな田舎の運河にすすむ青いナローボートが描かれた表紙。

紙にたまる水彩絵の具の濃淡も瑞々しくて、つい、手にとって読んでみたくなる。

既に話しているが英語語彙貧困な私は、英語本を読むには電子書籍に内臓されている辞書が必須となる。しかし今回は表紙に惹かれて紙の本を購入してしまった。

読み始めてから、かれこれふた月。読み終わったのは1/4程度。日常の中の話なので会話も多く比較的読みやすいにもかかわらず、通常に比べるとかなりの遅読。実はこれは辞書機能がないという理由ではなく、むしろ紙の本の特性のせい。つまり、紙の本を読むには明かりが必要。そのことが視力に問題がある私にとって、読書の機会を大幅に減少させている。ああっ、紙の本。思いがけないジレンマ!

デバイスの明かりは視力を衰えさせるが、慣れてしまうととても便利。でも明かりの強さに気をつけたり長時間にならないように意識しないと視力はすぐに衰える。これは残念ながら経験済み。この点も、紙媒体かデジタルか一長一短で悩みどころだ。

しかしながら紙の本は、眼にやさしいうえにページを捲るかすかな音や紙の触感、終わりに近づくと少しづつ慎重に読み進めるなど楽しみが多い。そして、本の内容が一層深く心に刻まれる気がするのは私だけだろうか。

「相撲」の意味

今日のテーマは相撲という言葉。

相撲は長い歴史を持ち日本独自のスタイルを有する格闘技として、海外でもよく知られている。私には全く未知の世界だった。そんな私が海外で”相撲の意味は?”と訊かれて絶句。

以下、コトバンクの日本大百科全書ーニッポニカによる説明の一部だ。

インドでは、悉達多(しっだるた)太子(釈迦(しゃか)の幼名)が相撲に勝って姫を得たことが、釈迦一代記の『本行経(ほんぎょうきょう)』にみえる。この経本を409年にインド人が漢訳したとき、梵語(ぼんご)のゴダバラを「相撲」という新語で表現し、これが6世紀中ごろ日本に伝来すると、以前からあった「争い」「抵抗」などを意味する大和(やまと)ことばの動詞である「すまふ」に当てはめ、やがて「すまひ」の名詞に変化し、のちに音便化していまの「すもう」になった。

漢訳で誕生した「相撲」という漢字は、大和言葉で「争う」などの意味を持つ「すまふ(すまう)」「すまひ(すまい)」を日本語の“読み”とし、年月を経て発音の便宜性から、現在の「すもう」となったとのこと。

これらの大和言葉を古語辞典で引いてみた。

「すまふ」は、力で抵抗する、強く断るという意味を持つ自動詞「争ふ・拒ふ」、名詞が「すまひ」とある。「相撲(すまひ)」の語釈には「二人が素手で組み合って闘う競技」とのこと。

最後に漢字の方。
「相」は「互いに」「ともどもに」「2つの物事が互いに関係しあう」という意味。「撲」は「うつ」「うちあう」「なぐりあう」「たおす」など。2つの漢字「相撲」で、「互いにうちあう」。

たしかに相撲そのものだ。相撲のような道具を必要としない格闘はギリシャ・ローマ神話にも度々登場するし、古くから世界中でおこなわれたスポーツだろう。それにしても相撲の語源がお釈迦様とつながるというのは驚きだった。

インド人による釈迦一代記の漢訳は409年で日本は古墳時代。日本史上の仏教伝来は6世紀飛鳥時代。漢訳と日本伝来までにかなりの時間差あったはず。

母国の文化を訊かれて答えられないのはやっぱり恥ずかしい。異文化の視点からの疑問に本当に学ぶことが多い。

たまにはNHK Worldの大相撲を見てみよう!

<参考文献>
大野晋 2011「すまひ」「すまふ」『古典基礎語辞典』角川学芸出版 p.658c – p.659a
貝塚茂樹他 1595「相」『角川漢和中辞典』角川書店 p.756d
貝塚茂樹他 1595「撲」『角川漢和中辞典』角川書店 p.450c

<参考サイト>
池田雅雄・向坂松彦 2019「相撲」『コトバンク 日本大百科全書 ニッポニカ』https://kotobank.jp/word/相撲-85069(9/28/2021 閲覧)

チャコールチップ

観葉植物用の炭の話。

日常をともにする観葉植物は家族も同然。可能な限り長生きしてほしい。そして、丈夫で育てやすいといえばポトスとサンセベリア。切り落としたものを水栽培にしてもどんどん増える。

水栽培で一番の問題は水の濁り。一緒に入れている装飾用の小石もすぐに水垢まみれ、しかもヌルっとなって気持ちが悪い。

そこで思い出したのが備長炭だ。炊飯や浄水につかうものなら植物にもいいかもしれない。

近所の観葉植物ショップには取り扱いがなかったが、お店の人もチャコールチップはハイドロにも土植えの鉢にもとてもいい!と太鼓判。仕方なくアマゾンで怪しげな備長炭…はやめて、ガーデニング用のチャコールチップを購入。
小ぶりのサンセベリアをハイドロカルチャにしてみた。

ガラス容器の中はチャコールチップと水だけ。炭の黒も湿っていると溶岩石のようにもみえまる。白く見えるところは乾いたところ。このサンセベリアも、一緒に作ったポトスも全く問題なく環境に馴染んだ。

水の量はチャコールチップの高さの1/3~1/2程度。植物のグリーンと黒のコントラストもスッキリとして満足。

初演「恋衣雁金染」

今回は清水清玄とさくら姫が登場する歌舞伎恋衣雁金染」のおさらい。

前回の作品概要で歌舞伎上演年はわかっているので、立命館大学の番付ポータルDB (ARC)にお世話になる。国立音大図書館所蔵の絵本番付を参考資料として閲覧した。

国立音楽大学図書館所蔵 
ARC番付ポータルDB管理#:kunTK64-1065

絵本の表紙の中心部、外題の1行目の少し大きめに書かれたほうが「恋衣雁金染」。そして左手には「河原崎座」。そのまえに書かれているのはたぶん左流和可、可のくずしの一画目の点がないので「の」にみえてしまうが、猿若町と言いたいのではないかと思う。そして宝尽くしの文様が施されて新春気分が満載だ。

国立音楽大学図書館所蔵 
ARC番付ポータルDB管理#:kunTK64-1065

三役がわかりやすく描かれている場面が左頁下に見られる。中心の着物には三枡紋。三枡紋といえば団十郎。この役者が清玄を演ずる市川団十郎。隣の男が嵐璃寛演ずる淀平。反対側振り袖の娘が桜姫、岩井粂三郎と理解できる。

国立音楽大学図書館所蔵 
ARC番付ポータルDB管理#:kunTK64-1065

こちらは最後のページ。狂言作者の欄には河竹新七とある。そして左側の枠には「嘉永5年子正月13日ヨリ」とあり、公演の始まりが告知されている。

ちなみにこの三人の役者を「嘉永5年1852年」時点で調べたところ、八代目市川団十郎、三代目嵐璃寛、三代目岩井粂三郎(のちの八代目岩井半四郎)ということになる。

河竹新七作「恋衣雁金染」はこれが初演だった。残念なことに現在の歌舞伎演目には見られない。清玄とさくら姫の物語は歌舞伎や浄瑠璃の外題として、これ以前にも数多く書かれているようだ。

<参考サイト>
絵本番付「恋衣雁金染」立命館大学アートリサーチセンター(ARC) 提供
https://www.dh-jac.net/db1/ban/results1280.php?f1=kunTK64-1065&f46=1&-sortField1=f8&-max=1&enter=portal&lang=ja (2021年8月21日閲覧)

「嵐璃寛」『コトバンク デジタル版 日本人名大辞典+Plus』
https://bit.ly/2UQZgnr (2021年8月21日閲覧)
服部幸雄「市川団十郎」『コトバンク 日本大百科全書(ニッポニカ)』
https://bit.ly/2URrIFN (2021年8月21日閲覧)
「岩井半四郎」『コトバンク デジタル版 日本人名大辞典+Plus』
https://bit.ly/3gBYouy (2021年8月21日閲覧)

清水清玄 その2

前回ふれた清水清玄が登場する豊国作品の概要。

役者絵と言うことはわかるが演目は検討がつかなかったので、主役であろう2名の名前「清水清玄とさくら姫」で検索。ボストン美術館(MFA)にも所蔵作品があることがわかった。これは幸運。MFAはキャプションが充実しているだけでなく画像が高画質なので拡大にも耐えられ、版木の木目まで照らし合わせることができるからだ。

ということで、以下MFAの作品説明を参考にしながらまとめた概要。

左:一陽齋豊国画(さくら姫)右: 香蝶楼豊国画(清水清玄,下部淀平)
BlueIndexStudio所蔵

作品:「清水清玄」「下部淀平」「さくら姫」
絵師:歌川豊国三代(国貞)
版元:加賀安(加賀屋安兵衛;浅草福井町1)
落款・押印:「清水清玄」「下部淀平」香蝶楼豊国/年玉印、「さくら姫」一陽齋豊国(押印なし)
改印:衣笠・村田;1847(弘化4)−1852(嘉永5)
作品サイズ:清水清玄・下部淀平;35.5×25.5cm、さくら姫;35.5x24cm

さて作品画面上にはタイトルらしきものはない。MFAは作品タイトルとしてそれぞれの役者名も記していて、1852(嘉永5)年の「恋衣雁金染(こいごろも かりがねぞめ)」という歌舞伎公演の際の作品としている。
「恋衣雁金染」で検索したところコトバンク内に、河竹新七(2代)作、嘉永5年1月に江戸・河原崎座が初演であったことがわかった。
番付探しで確認できそうだ。

<参考文献>
宮地哉恵子 1997 「国立国会図書館所蔵 幕末・明治期 錦絵・摺物等の版元・印刷所一覧(稿)」『参考書誌研究』第47号66頁

<参考サイト>
「恋衣雁金染」『日外アソシエーツ 歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典』 コトバンク https://bit.ly/3yVDKwp(2021年7月30日閲覧)
豊国III(国貞)『「清水清玄」八代市川団十郎「下部淀平」三代嵐璃寛「さくら姫」三代岩井粂三郎』Museum of Fine Arts, Boston 
https://bit.ly/3gctmcj(2021年7月30日閲覧)

外国語に翻訳された日本の本

翻訳本の話し。

日本語の知識がない人が日本の作品を読みたい時、外国語に翻訳されたものを読むことになる。ところが残念なことにその翻訳本が少ない! 他の言語に比べたら多そうな気がする英語訳でさえも、日本語に翻訳された他言語の本に比べようもなく少ない。最近はアニメが日本語への入口になっているなど日本文化に興味を持つ外国語話者は増えているようだが、読書の需要はまだまだのようだ。

実は先日、あるイタリア人からオススメの日本の本をおしえてほしいとメールがあった。文章を書くことを専門としたジャーナリストであるこの女性は、日本人のものの考え方、美意識などを文学を通じて理解しながら日本の造形文化を楽しんでいる。

もう10年以上前、川端康成の『掌の小説』(イタリア語訳)をプレゼントしたことがあった。私自身この作品がとても好きで、どうしても彼女に読んでほしかったのだ。うれしいことにとても気に入ってくれて、それ以来たびたび、おすすめ本のリクエストがあるというわけだ。

さて今回リクエストのために、まずはAmazon.itで翻訳本チェック。おすすめしたい本があっても翻訳されていなければどうしようもないからだ。結果は本当に本当に少ない!! 近年のものならデジタルになっているかと探したものの、それも期待はずれ。翻訳って本当にむずかしいのだ。それはわかるが…なんとかなりませんか!と悲しい気分。せっかく読みたい人がいるのになぁ。

こうなるとあるものから選ぶよりほかない。とは言え、この2冊、文句なしの太鼓判というレベルで決定。

谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』と夏目漱石の『吾輩は猫である』

谷崎のこのエッセーは日本文化理解への王道。漱石の猫は力まず読めて猫に語らせた漱石の(自虐的?)哲学に満足感ありと判断した。オリジナルはすばらしいのであとは翻訳しだいだ。

昨年来のパンデミック。ワクチンが始まった今でさえ目に見えない閉塞感が拭えないなかで、異文化から吹く風が、彼女の夏の休暇にポジティブな空気をもたらしてくれることを願っている。


清水清玄

豊国による清水清玄の登場。

最近になくドラマティックな場面の錦絵だが、ストーリーは知らない。ただ、漫画やアニメに出てくる気が立ったネコのような髪型の青ざめた男の顔は記憶にある。清水清玄とはこの男。

一陽齋豊国画(さくら姫)/ 香蝶楼豊国画(清水清玄)BlueIndexStudio所蔵

一度見たら忘れられない強烈なインパクトを残す狂気の清玄。豊国自身もお気に入りのようで、他の一枚物の錦絵にもこの表情のまま使われている。加えて彫師の高度な技術が目を引く髪の毛やひげの極細の彫りがみられる作品としても知られている。

画像のとおり、残念ながらカビや染み、折れ、破れ、虫食いがかなりひどい。他の作品だったらご免こうむったかもしれない。紙作品の宿命とは言え厳しい保存環境による長旅であったことが想像され、紙の作品好きとしては通り過ぎることができなかった。

因果律

最近、深層心理学者河合隼雄の動画をYouTubeで発見。その動画のなかで『原因と結果』についての興味深いお話しがあった。

1)「マニュアル通りにすれば結果としてその機械が動く」というような「こうすればこうなる」という考え方が現代人に馴染みすぎていて人間関係においてもその方法が通用すると信じている。

2)人間関係にこの法則を当てはめる人は、自分自身はその関係の外で問題を操作しようとしている。

河合先生はこの話しの際に不登校の親を例をあげている。
不登校の子供の親はなぜ子供が学校に行かないかの原因を子供に尋ね、親に詰め寄られて答える子供の言葉から原因“らしきもの”を得てそれを排除し通学させることに懸命になる。しかし多くの場合それで不登校が治るわけではないという。親としてはマニュアル通り動かせば機能する機械のように、子供を思うように動かしたい。こうした親は、子供の不登校の原因のなかに親(自分自身)を入れずに原因を見出して機械のスイッチを押して操作するように解決しようと考えるのだそうだ。

人間は「完全に一つの世界」と河合先生。人間は文化や環境など様々な要因によってベースとなる部分に共通の考え方があったとしても、個々に独立した思考を持っている。そんな人間同士が関係する時、物を操作するように他の人間を操作、コントロールすることは不可能だ。

たしかに。今や因果律を信じすぎているかもしれない。
私はちゃんとやってるのに、なぜうまくいかないの!?
自分でストレスを増やしているようなものだ。

玉石混淆のYouTubeだが、面白いものも潜んでいる。

ピクトグラム

先週から東京2020オリンピックが始まっている。この開催については色々と思うところはあるが、ほぼ無観客でもこれまでの成果を発揮しようと頑張る選手を見るにつけ、応援せずにはいられない。

さて本題のピクトグラム。簡単に言えば「絵ことば」。言語を介さずに図によって情報を伝えることができる便利なツールだ。公共の場でよく見かける非常口のサインや禁煙マーク、トイレや水飲み場の表示などは日常的に見られる。言語を介さないわけですから言語能力の有無に関わらず理解可能なユニバーサルデザインというわけだ。

今、この言葉をググると先日のオリンピック開会式でのサイレント・パフォーマンスの話題で持ちきりだ。今回のオリンピックでは50の競技種目があるそう。そのため競技を表したピクトグラムも50種類ある。

今回のオリンピックの開会式で3人のグループが無言劇で、5分間ですべてのピクトグラムを表現してみせた。もちろん早変わりを手伝う黒子ならぬ白子もいるのだが、その早業と正確な出来栄えがまさに世界中の話題となっている。サインの形を人間が模すというアイディアそのものがまず独創的ということらしい。

このピクトグラム、日本では1964年の東京オリンピックから使われだしたそうだ。外国語話者が少ないころ多くの外国人を迎える日本人にとってはとても便利なツールだっただろう。

今回のピクトグラムの無言劇をみていて古い記憶が蘇った。
昔日本で仮装のコンテストのようなTV番組があった。人がいろいろなモノや生き物に扮してみせるもの。小型の舞台装置とともにメインの役者と黒子のような人々がちょっとした動きを見せてその本当らしさを競うものだった気がする。今でもあるのかはわからないが、今回のピクトグラムの無言劇に通じるものがある気がする。