身の三里四方

近隣の産物を売っているスーパーで栗を発見。懐かしのイタリア産だ。

イタリアでは今頃の時期から各地の広場の片隅に炭火の焼栗屋が登場する。日本同様南北に長いイタリア。ミラノとフィレンツェでも味は違うし、南下してシチリアまで移動すると、小粒になって特産の塩をまぶしてあるなど味付けも変わってくる。塩味のシチリア風もまた栗の甘さが際立って美味しい。どこで食べても、甘みやホクホク感が違っても、とにかく美味しいのだ。

パンデミックのさなか海外移動を望んでも無理な話。

現実に戻って、隣町のスーパーマーケット、”できる限り近隣の産物を扱う努力をしている”心意気と、コロナ禍に色々工夫しながら頑張っている様子にはいつも感心している。こちらは感染対策の武装をしながら恐る恐る出かけて行って運良く栗に出会えた。
でも、なぜ輸入?と思ってしまう。

そこで思い出した「身の三里四方の食によれば病知らず」

季節の新鮮な食物を食することが健康を維持する秘訣というのが、昔の人が言わんとしたことだと理解している。1里が約500mとして3里は1.5km。この距離ならば作物が人力で運ばれていた時代でも十分新鮮に届くだろう。

ここまでの近距離とは言わないが、イタリアから輸入しなくとも良さそうなものを…栗の木も多いであろう広大な国なのに、アメリカ産の栗に出会ったことがまだない。

栗好きとしては是非米国産の栗も食してみたい。
と期待しつつ、今夜はイタリアからの遥々来てくれた輸入品を、今年の初物として頂こう。

選挙ストレス

今日は2020年11月3日、日本は文化の日。

米国では4年に一度の11月第一火曜日、大統領選挙投票日だ。

選挙投票にあたって今回の有権者の判断材料は例年以上に多いはず。なにしろCOVID19など例年ではなかった。医療の問題で政府主導のアドバイスを信頼できるかどうかまで考えなければならないのだ。この国にずっとあり続けた人種問題はまったく好転していないどころか悪化の傾向。さらに投票システムの信頼性まで疑われている始末。諸々含めてもちろん次期大統領はどちらにするか。

大統領選の候補者はこうした問題に関して対極に立つ2人。支持政党の違いは家族のなかでさえもいつの時代にもあることだろう。ただ今回の報道を見ていると両陣営の対立ぶりが一般の人間関係にも影響しているようで、私個人の経験からしても日常の近所との気軽なおしゃべりも今まで以上に神経を使うものになっている。さらに、選挙運動における公人の言動や真偽の定かではない情報の拡散もあり、報道を見聞するだけで不快感を感じたり将来に対する不安を強める人も多いといわれている。

こうした中で耳にしたのが、「選挙ストレス障害(election stress disorder)」。

もともとは2016年の大統領選挙の際、メリーランド州のカップル・カウンセラーのスティーブン・ストスニー(Dr. Steven Stosny)により明らかにされたものだ。

アメリカ心理学会の統計よると、成人アメリカ人の68%(10月発表の世論調査)が選挙を重大なストレスと感じていると報道している。こうしたことを裏付けるようにメンタルヘルスのセラピストの需要が高まっているということは頻繁に報道されている。

前述のストスニー博士や有識者は、ニュースやソーシャルメディアからの情報の扱いに慎重になるよう呼びかけている。内容の真偽を確認したり冷静に理解するための時間をとることが、他者との会話を穏やかにするだろうとしている。

情報の理解に時間をとること、情報のソースを確認することは必要だろう。

それに加えて、自分と違う意見、自分が望まない結果もありうるということを認識する必要があると思う。いつも自分の思うように世の中を動かさなければならないという戦闘態勢でいることがストレッサーにもなり、人間関係の分断を起こすのではないだろうか。

投票数がかつてない数に上ったのは喜ばしいことだ。しかしそれはまた不安の現れかもしれない。こんな事も含めて今回は「歴史的大統領選」と呼ばれている。

すでに投票時間は締め切られて結果報道が始まっている。
いずれにしても、ストレスが軽減される結果となることを願うばかりだ。

<参考サイト>
Katherine Cusumano 2020「Don’t Give In to ‘Election Stress Disorder」『The NewYork Times』
https://www.nytimes.com/2020/10/31/at-home/election-stress.html

橋の上の玉葱

「東海道五拾三次之内 日本橋」安藤廣重 1830-186

「日本の橋の上の玉葱みたいなもの」あれは何だと、外国の方に何度か聞かれた。

擬宝珠のことだ。

そういえば橋だけではなく、高貴な建造物の高欄でも見かける。

『日本大百科全書(ニッポニカ)』によると、高欄(こうらん)の親柱(おやばしら)の頂部につく宝珠(ほうしゅ)形の装飾で、頂部を削り整えたものや青銅製または鉄製の金物をかぶせたものがあるとのこと。

 「仏典では、宝珠は海底に住む竜王の頭から出現したもので、毒に侵されず火にも燃えない霊妙なものとし、それを擬したものが擬宝珠である。擬宝珠に金属製のものが多いのは、親柱頂部が雨水で腐朽するのを防ぐためにかぶせたからである。」    

宝珠は願いどおりの宝を出す珠のことで、如意輪観音や地蔵菩薩の持ち物だそう。それと五重塔の頂部にある飾りも宝珠とよぶとか。その宝珠を真似て作ったものだから擬宝珠というそうだ。

木造の橋がかけられていた時代、欄干の擬宝珠は親柱を腐朽から守るだけではなく、川の氾濫や橋の落下などから通行人を護る願いも込められていただろう。

早速Googleで検索。伊勢神宮 内宮の宇治橋、京都の三条大橋、盛岡の上の橋のほか、復元されて真新しい鳥取城跡内堀にかかる擬宝珠橋など各地で見られるようだ。名所絵で有名な日本橋の擬宝珠は浮世絵に残るだけになってしまって残念。

次回誰かに聞かれたら、今までよりマシな説明ができそうだ。

<参考文献>
工藤圭章「擬宝珠」『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館

初雪の朝

落ち葉掻きのまもなく…

ぼんやりとした寝起きの頭で、暖房が自動作動する音をきいていた。

このあたりの真冬はマイナス10度は軽く超える。配管凍結防止のため暖房は24時間稼働だがが、温度は時間毎に設定している。そして今朝、今シーズン初めて暖房が自動作動でより強力に動き出した。つまりそういう寒さになったというわけだ。

シンと静まり返った朝。

この静けさ、しばらく忘れていたけれど、間違いなくあの気配。
すべての音を包み込む雪がふっている、しかも積もっているということ。

また長い冬がはじまることを思いながら、真っ白の積雪を期待してカーテンを開けたところ、終わりかけの紅葉が落ち葉となって新雪の一面をおおっている。なんとも美しい!裏口のドアを開けながら懐かしい冷気につつまれて、しばし秋冬の入り交じる朝に見惚れた。

雪が溶けたら今半ば凍ってるこの落ち葉も哀れな姿になるのかと、ハロウィーンの準備で落ち葉掻きを先延ばしにしたことを後悔した。

そしていきなり蘇った記憶。

「女の盛りなるは、十四五六歳廿三四とか、三十四五にし成りぬれば、紅葉の下葉(したば)に異ならず 」

こんな文章を見つけて他人事のように笑いあっていた学生時代…こんなにしみじみとした気持ちで雪に入り交じる落ち葉を見る自分など思いもよらなかった。

ひんやりとした廊下でひとり、自分の頬が高揚し緩むのを感じた。

『梁塵秘抄』巻第二、394
平安後期の今様とその周辺歌謡の集成。後白河法皇撰。明確な成立年時は未詳。

あお

7月、晴れた朝、アメリカ東海岸北部の空はこんな “あお”。まさに “空色”。

近所の公園。ベンチで一息つきながら空を見上げる。
あおいろ。 朝の控えめな太陽の光で爽やかな空色だ。

好きな色はあおいろ。どこにいても、どんなものも、一番に目に入るのはあおいろだ。いろいろなあおがあるが、藍や紺青などの赤みの少ない深いあおいろがより好みだ。でも好きだからといって身の回りがあおいろで埋め尽くされているわけではない。他の色の中にあってあおいろが引き立つのがいい。

夏の日差しのなか光る緑色は反対色の黄色、影となった葉は深く濃い緑色、枝は墨で引いた線、そして星条旗の赤。ゆるやかに形を変えていく薄雲のながれ。空色のグラデーションも、さながら川の流れのように形を変えてゆく。ベンチの背に頭をもたれて、いつまでも見入ってしまう。木々と星条旗は空色によって、空色は木々と星条旗によって、それぞれの色が鮮やかに際立つ。

こうしてあおいろを見ていると、ポジティブな感覚が勝ってくるのだ。

いつもより新しめ

隣町のジャンクショップをふらふらしていた時に目を引いたかなり古めのカップボード。普段見かけないその大きさに思わず周囲をぐるりと回ってみたところ、押し付けられた壁とボードの隙間に一枚の薄い額がある。引っ張り出してみると錦絵だった。 

BlueIndexStudio所蔵

これ以外にアジア系のものなど全く見当たらないこの店。どんな経緯で流れ着いたのだろう。幕末から明治初期の赤と青の氾濫、折ったあとはあるけれどカビがないのはうれしい。

小万とは

作品上の情報から《桜屋の小万》を探る。

画面背景が階段とは舞台装置。そして何かを差し出すこのポーズもいかにも芝居がかっている。これは芝居絵・役者絵。

それでは画面情報から見てみよう。
作品名:桜屋の小万(さくらやのこまん)
版元:版元(亀甲の中にト+遠彦)遠州屋彦兵衛
落款:豊国画(年玉)
絵師:豊国三代/国貞
改印:申五改;1860(安政7/万延元)年 

BlueIndexStudio所蔵

改印の年代から豊国は3代目、初代国貞だ。

さて小万。
まず衣装から見てみると、袖や肩に千鳥の柄。裾には釻菊(かんぎく)の紋様も見える。この手がかりから浮上したのは歌舞伎俳優・澤村田之助。

釻菊は定紋で替紋が波に千鳥。よく見ると着物だけでなく硯箱にも千鳥が描かれている。澤村田之助は現在まで続く名跡だ。改印の時期から推測するに1858(安政5)年に襲名した三代目のもよう。

この役者が「桜屋の小万」として登場する公演を捜索。
すると『五大力色〆(ごだいりきいろのふうじめ)』という作品がヒット。この役者絵の出版年(1860)と同じ1860年の芝居番付が続々と出てきた。

興行地:江戸・守田座
上演日: 1860(万延元)年5月5日 (同年3月18日から万延元年)

これによって1860年5月5日興行の歌舞伎『五大力色〆』に合わせて出版された錦絵があることが裏付けられた。資料となった番付から、この興行で桜屋の小万を演じたのは三代目澤村田之助ということも裏付けがとれた。
今回は作品の詳細を理解するための資料が揃っていてかなり楽なケース。

ところがこの作品と同じ錦絵は(少なくともオンライン上では)未だ見つかっていない。

<参考文献>
浅野秀剛 2012「浮世絵は語る」講談社
石井研堂 1920「錦絵の改印の考証:一名・錦絵の発行年代推定法」伊勢辰商店
早稲田大学文化資源データベース「五大力色〆」
https://bit.ly/2Pf9cUm



桜屋の小万

豊国画『桜屋の小万』BlueIndexStudio所蔵

隣町のはじめて行った骨董屋で見つけた比較的状態のよい錦絵。これまた縁もゆかりもないような額に囲まれて、作品入りながら額の売り場に置かれていた。実際私も古い額を探しながらそこにたどり着いたわけだから不思議な縁だ。

その場で作品だけを取り出してみることはできなかったが、目立った欠損やカビもなく状態良好。額装はマットや木製額の様式からも現代の画廊などによるプロの額装だった。現在の額装の前も額装されていたなど、丁寧に保管されながら日本を離れたのではないかと想像している。

額を売る目的の値段設定で、作品の価値は加えられてないのが逆に寂しい気がしたが、どの道大事にする手に渡ったこの作品は強運を持っている。

「谷風」のタイトルと署名・印影

錦絵とガラス絵それぞれのタイトルと署名・印影を比べてみた。

まずタイトルの「谷風」。

勝川春英画 ガラス絵「谷風」部分
E.Takino氏所蔵
勝川春英画「谷風」部分 資料番号: 94200373 
江戸東京博物館所蔵

「谷」は多少の集中力はみえるが、「風」はかなり苦戦している。風は中学校の書道レベルでもバランスの取りにくい字。下書きに沿ってなぞったのだろうが、錦絵でみられるスッキリとした起筆・収筆には及ばない。ただ、遠目には似て見えるだろう。

次は春英の落款と極印。錦絵の画像の画質で拡大するとこれが精一杯。残念ながらとても見にくい。

勝川春英画 ガラス絵「谷風」部分
E.Takino氏所蔵
勝川春英画「谷風」部分 資料番号: 94200373 
江戸東京博物館所蔵

錦絵のほうが非常に不鮮明だが大雑把ながらも文字の形の違いはハッキリわかる。それとガラス絵の方、極印と一部重なって大きめの朱文らしいものが見る。これは錦絵の方には存在しない。ガラス絵の印文は解読できない。

最後に板元永寿堂の印。

勝川春英画 ガラス絵「谷風」部分
E.Takino氏所蔵
勝川春英画「谷風」部分 資料番号: 94200373 
江戸東京博物館所蔵

ここまですべて同じ画像を使っているが錦絵のこの部分は比較的鮮明に写っている。全体としてはよく写し取っている。ただ錦絵の方は山印の次が三つ巴だが、ガラス絵の方はボールが3つ、勾玉のかたちではないようだ。頂点のボールと下の2つにはそれぞれ短い線でつながっているようにも見える。やはりここでも日本の家紋文化の理解が製作者にあったのかという疑問が残る

これら3つの比較から。
1)錦絵とガラス絵は画としてはよく似ている。春英の浮世絵版画『谷風』がこのガラス絵の元絵となった可能性が考えられる。
2)複写の精密度と錦絵にない印影(らしく描かれたもの)の朱文から、製作者に日本語の知識があったかは疑問が残る。
3)ガラス絵作品に極印というのも?

錦絵をもとに作られたガラス絵を複数見る経験が必要。他のガラス絵作品を見ることができれば、完成度の比較も多少なりともできるだろう。

制作年については、額を見る限りでは春英の活動期間になると考えるのは素人見だが難しく思える。江戸末期とも言いにくいかもしれない。古くても明治以降のような気がする。

錦絵「谷風」

錦絵《谷風》。
左側の画像が江戸東京博物館収蔵の錦絵《谷風》。

勝川春英画「谷風」(1790寛政2年~1804文化1年) 38.5x25.0cm 資料番号: 94200373 
江戸東京博物館所蔵
勝川春英画「谷風」
50.5 x 32.0cm
E.Takino氏所蔵


錦絵の画面向かって右下、谷風の左足部分に欠損(別紙による補強)がある。
ガラス絵は画像が暗めで残念ながら画題や落款が見えにくい。

一見して錦絵とガラス絵は酷似している。

ガラス絵の墨線を辿ってみると、形はとれていても錦絵に見られる切れ味のいい線は見られない。どちらかというとたどたどしい線だ。タイトル「谷風」や落款、印影に関しては、ガラス絵はさらにもどかしい筆運び。絵具の濃度のせいで筆の動きが鈍くなった可能性もあるだろう。こういう点はほかのガラス絵をみて、どのような線質で描かれているか比較したいところだ。

もうひとつ、大きさが気になる。今回は2作品の画像を比較するために、見やすさを重視してなるべく同じくらいの大きさで並べている。
実際の錦絵は 38.5x25.0cm.
ガラス絵は額縁が塞がっているのが難点。フレームの内側で採寸すると50.5 x32.0cmだが、力士の身長なら頭頂から足の指先は46.5cm。幅は廻しの総から総で30.5cm。つまり背景を除いて、力士だけを切り取ったサイズは高さ46.5cm 、幅 30.5cmとなる。

この切り取ったサイズだと、ガラス絵は錦絵の約20%増しの作品になっている。現在ならばコピー機やコンピュータの印刷機能などで簡単に画像の拡大ができるが、それ以前の作品で、手作業ならばなかなか難儀な作業だっただろう。錦絵を元絵にした他のガラス絵作品の拡大サイズも比べて見てみたいものだ。

浮世絵の出版時期とガラス絵制作時期は必ずしも一致しないことは念頭に入れて置かなければならない。
制作時期の特定とどこで制作されたということに関しては、かなりの難題だろう。

見つかった錦絵は現在のところ江戸東京博物館所蔵のこの作品のみだが、このガラス絵の元絵はこの錦絵と考えて良さそうだ。

<参考サイト>
江戸東京博物館
https://bit.ly/3w986ul