「写楽画」という署名の春英作品 その2

はからずもふたたび春英作品の署名偽装事件発見。

前回同様、モデルは二代目嵐竜蔵。
左、「東洲斎寫樂画 」の署名に極印と蔦屋重三郎(耕書堂)の版元印。
右が「春英画」に岩戸屋喜三郎(栄林堂)の丸に岩の版元印で、こちらがまっとうな作品。
いずれも大判縦型の作品で長さはほぼ同じのようだが、右の春英署名の用紙の幅が3cm弱広いために画像が縦横のバランスに差が出ている。

勝川春英画(1795寛政7年)
二代目嵐竜蔵の寺岡平右衛門
資料番号:21.5965 MFA所蔵
勝川春英画(1795寛政7年)
二代目嵐竜蔵の寺岡平右衛門  
資料番号:21.5965  MFA所蔵

どう見ても同じ板。MFAのいずれのキャプションにも相互の作品の存在と、署名落款の差し替えのことが説明されている。さらに写楽名になってしまった作品には写楽本人の大首絵シリーズでも使われた雲母を、後から塗布されているとのこと。背景の紫がかった色がそれだ。光沢があって高級感を出すにはピッタリだったはず。そして店頭では高価な値段で売られたのだろう。

MFAは作品年を「1795(寛政7)年4月」としている。「都座」「仮名手本忠臣蔵」の表記もあるため、この点も作品年月の根拠の一つとも考えられる。
改印制度は1790(寛政2)年には始まっていて、丸に極の印は最初期のもの。写楽名の作品だけに極印があるのが気になるところ。

ここで忘れてはいけなないのが写楽の活動時期。1794(寛政6)年5月から翌1795(寛政7)年1月と言われている。ということは、この贋署名の作品が市場に出たときはすでに絵師写楽は存在しなかったということになる。
現在、長い年月を経て歴史の結果として写楽の活動期を知ることができたわけで、当時の人々にしてみれば数ヶ月のブランク後に写楽作品が売り出されても疑問を感じなかったかもしれない。ネットもSNSもない時代のこと、口伝てやかわら版などでの情報伝達の力量も気になるところだ。

偽署名に版元印を使われた蔦屋重三郎はどうだろう。本来であれば黙っていたとは思えないが、全力でプロデュースした絵師写楽も活動を停止してしまった蔦屋重三郎の最晩年。1797(寛政9)年に脚気で亡くなったところからすれば、数年前から病で気力も衰えていたのかもしれない。

春英名の方に極印がないということは、1795年の段階では写楽名の方だけが店頭に並んだのではないかと想像する。春英名の方はどこかに保管されていたものが改印制度が廃止以降に市場に出たのかもしれない。…春英は知っていたのだろうか。

春英の面目躍如となる作品をお伝えしたいものだ。

<参考サイト>
勝川春英《二代目嵐竜蔵の寺岡平右衛門》Museum of Fine Arts, Boston 
https://bit.ly/3hq3WYG
勝川春英《二代目嵐竜蔵の寺岡平右衛門》Museum of Fine Arts, Boston 
https://bit.ly/3yslGtt

「写楽画」という署名の春英作品

ボストン美術館所蔵のすこし気になる春英作品についてお話。

前回ふれた春英の大首絵、気になったのでボストン美術館アーカイブで春英作品を再び検索してみた。263作品がヒット。ガラス絵つながりの相撲絵はわずか5作品でしたが、役者絵は200点を超える所蔵数だった。

一作づつ見ていくと気になる作品が一点。

勝川春英画(1790頃)二代目嵐竜蔵ヵ
資料番号: 21.7270 MFA所蔵

作品中の署名は「寫樂画」、極印、そして蔦屋重三郎(耕書堂)の印。写楽がなぜ春英のアーカイブにヒットするのか。
でもこの役者、よく見ると春英が描く嵐竜蔵の輪郭や隈取りなどの特徴がみられる。

さて写楽の大首絵の最大の特徴といえば大きな顔にアンバランスな小さな手。そして衣装に定紋や替紋が施されて役者の見分けが付きやすい。

この作品ではいずれの紋も見当たらない。そして手の大きさ、顔や体格とアンバランスとは言えない十分な大きさがある。

ということで作品説明を見ると、春英の作品の落款部分を写楽の落款に差し替えた作品とのこと(Catalogue Raisonné Maybon, Le Theatre Japonais (1925)*)。つまり偽写楽。
MFAのタイトルは《二代目嵐竜蔵ヵ》?!「ヵ」が疑問符?

大首絵の代表絵師と言えば写楽。その名前を借りることで売上向上を狙った版元の悪巧みだろうかか。彫師によって差し替えられた署名。本来の作者である春英が気の毒だ。

<参考サイト>
勝川春英《二代目嵐竜蔵ヵ》Museum of Fine Arts, Boston *
https://bit.ly/3688opO(2021年6月12日閲覧)


勝川春英

ひさしぶりのガラス絵《谷風》の絵師、春英について。

このテーマを取り上げた最後は2018年4月25日。それなのに絵師については全く触れずじまいだったと気がついた。

勝川春英の俗称は磯田久次郎。1819(文政2)年江戸生まれ。江戸中期から後期の浮世絵師と言われている。号は九徳斎(くとくさい)。勝川春章に入門後1778(安永7)年にデビューし、作画期は天明(1781~89)ごろから文化(1804~18)とのこと。初期は師匠春章にならって役者絵を専らとしていた。大胆な描写と色彩感覚が評価されていたようだ。

春章は役者絵に似顔絵の要素を加えた初めの絵師の一人。それまでの作品は役者個人の特徴が見えにくく、人々は役者の衣装や持ち物に添えられた紋を頼りに役者の判別していた。役者の身体的な特徴を盛り込まれた大首絵は、スターの「プロマイド」(今でもあるのでしょうか?!)のように、ファンを引きつけコレクターを増やしたことだろう。そして寛政期になると春章・春好に変わって春英がこうした役者絵を牽引していく。この時期は東洲斎写楽、歌川豊国らの華々しい活躍の時期とも重なる。春英の雲母摺大首絵は写楽と同時期に刊行されていることから、両者の影響関係も推察できる。

にもかかわらず、寛政期のおわりごろ役者絵は急激な衰退をみせた。春英は時代の潮流を読んだようで、武者絵や相撲絵、肉筆画に力を注いでいく。
そして1819(文政2)年、57歳で他界。

さてガラス絵《谷風》のオリジナル作品と見ている錦絵《谷風》の製作年は、江戸東京博物館アーカイブによれば1790(寛政2)年~1804(文化1)年とされている。
春英は役者絵だけにこだわらずに広く作画活動を行っていた様子がここからも伺える。

写楽とライバル関係にあったとのこと。春英の雲母摺大首絵もみてみたい。

<参考文献>
浅野秀剛 2010 「浮世絵は語る」『講談社現代新書 2058』講談社
小林忠・大久保純一 2000「浮世絵の鑑賞基礎知識」至文堂

<参考サイト>
内藤正人「勝川春英」『コトバンク 朝日日本歴史人物事典』
永田生慈「勝川春英」『コトバンク 日本大百科全書(ニッポニカ)』
https://kotobank.jp/word/勝川春英-45133(2021/5/15 閲覧)

国芳の「擣衣の玉川」の犬

今回は犬の話。

前前回のボストン美術館所蔵の国芳作の続き物《六玉川 摂津国擣衣の玉川》。
手元にある作品は3作の真ん中に位置するもので、両側には2作品ある。それらの作品にはそれぞれに犬が描かれている。すこし気になったので、当時の犬について少し調べてみた。

一勇齋国芳画 六玉川 摂津国擣衣の玉川(1847~1852)
資料番号: 17.3211.29 (右), 17.3211.30 (左), 17.3211.31 (中央)  Museum of Fine Arts, Boston 所蔵

MFAの六玉川の続き物を見てみよう。
右側の振り袖の娘のうしろにはまどろむような白黒のイヌ、左の反物を持つ女性のうしろにはシャキッと番犬のように座るイヌ。こちらは2色のまだらにみえなくもないが、影のように表現効果をねらったのかもしれない。どちらも現在の中型犬だろう。

江戸時代、さかのぼって五代綱吉の時代に「生類憐之令」(1687・貞享4)が出され、とりわけ犬の地位が過剰なほどに向上した。犬の戸籍に専門医、犬目付の巡検など、犬を飼うのも容易ではないと捨て犬が増えて、その収容のために野犬の犬小屋を作ったほど。1709年の綱吉の死後やっとこの法令はとかれた。
いずれにしても江戸時代は犬や猫、鳥・金魚・虫といったペットが階層を超えて広く飼われたそうだ。なかでも犬は人に寄り添う性質が強いためか、育て方のマニュアル本が出版されるなど人気のほどがうかがえる。

暁 鐘成著 1800  犬狗養畜傳
国立国会図書館デジタルコレクション

こちらが『犬狗養畜傳』、マニュアル本。一般的な犬の飼い方だけではなく、愛情を持って犬に接する心得や病の際の薬に至るまで記載があるそうだ。著者の暁鐘成(アカツキ カネナリ)は大阪の浮世絵師とのことだが、浮世絵作品は未だ見ていない。犬に特化した飼育マニュアルが出版されたところを見ると、やはり犬を飼う人は多かったのだろう。

中村惕斎編 1789「犬」頭書増補訓蒙図彙大成 21巻 [2]
国立国会図書館デジタルコレクション

こちらは『頭書増補訓蒙図彙大成』、今で言う図鑑。右側が犬のページ。
右ページの中央が「獒*(ごう)犬」とよばれ、体高が4尺(約120cm)ほどの大きな犬のこと。おもに唐犬(輸入犬)のことだ。毛がフサフサのむく犬が「㺜**(のう)犬」、手前の一番小型犬は単に「犬」。港郷土資料館の資料によれば、この「犬」は一般犬のことだそうだ。

国芳の擣衣の玉川に描かれている座っている犬は体高がありそうなので獒犬のようだが、輸入種が庶民のペットというのは少し無理がありそうなので混合種かもしれない。

国芳作品では犬や猫がたびたび見られる。この作品のように犬の特徴を描き分けていることからも、国芳が犬に興味を持って観察していたこと、好んでいたようだ。

そして幕末も犬は人気のペット。マーケティングに余念がなかった幕末の出版業界は美人と一緒に犬や猫を描くことも販売戦略として狙ったのかもしれない。

*獒(ゴウ):①おおいぬ(おほいぬ)丈が4尺以上のいぬ。②猛犬 ③つよい犬
**㺜(ノウ):けものへんに農という字、手持ちの辞典などでは見つからずWeblioによれば「日本語ではあまり使用されない漢字」とのこと

<参考文献>
貝塚茂樹他 1982 「獒」『角川漢和中辞典』角川書店  p.699d
西山松之助他編 2004「愛玩動物」『江戸学事典』弘文堂 p.398b 

<参考サイト>
暁 鐘成著 1800 『犬狗養畜傳』国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2536385
中村惕斎 編 1789「犬」『頭書増補訓蒙図彙大成』21巻[2]
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2556824(2021年5月20日閲覧)
「㺜」weblio漢字辞典
https://www.weblio.jp/content/㺜(2021年5月20日閲覧)
港郷土資料館 2017「江戸時代の犬と猫」『港区立港郷土資料館へ行ってみよう!第14号』
https://www.minato-rekishi.com/pdf/kids/ittemiyo-14a.pdf(2021年5月20日閲覧)

『Klara and The Sun』

カズオ・イシグロの新作『Klara and The Sun』。はじめて原書で読んだイシグロ作品となった。

主人公KlaraはAF(Artificial Friend:人工の友達)とよばれる家庭用ロボット。AFの役割はその名の通り持ち主の親友になること。ロボットは機械なのである一定の共通した機能で作られて持ち主の使用に応じて何かしら特徴をもつAIBOのようなものを想像していた。しかしKlaraが売られていたお店のようすから、この物語の中のAFは初めからそれぞれのパーソナリティをもっていることがわかる。AFを販売するお店のマネージャーは、どんな細部も見逃さない観察力と洞察力が際立っているAFとして、Klaraを高く評価している。

この物語ではそんなKlaraの経験が、彼女の言葉で語られていく。

KlaraはJosieというティーンエージャーの親友になる。Josieは難病を抱えている。母親、ボーイフレンド、父親など彼女を取り巻く人々もまたJosieの病によって痛み、そこから個々の問題もまた浮き彫りになる。Klaraはそうした彼らにとっても、ひととき心を許せる存在になっていく。

Klaraは日常で経験するあらゆることを観察してデータとして取り込んでいる。そこから人間の心の機微や行動様式を理解している。いわゆる空気が読める言動まで可能な高度な社会性を身につけながら献身的にAFの役割を果たそうとしているのだ。

そんななか、Josieの病の先が見えない状態にJosieの母親は最悪の事態を想定しはじめる。つまり、もしもJosieが死んでしまったらKlaraをJosieの身代わりとして残りの人生を生きてゆこうというもの。今は一人娘のJosieですが実は亡くなった姉がいた。Josieの母親は娘をふたりとも失うのではないかという不安に苛まれているのだ。母親はKlaraと二人きりになったチャンスにJosieのマネをさせてーKlaraはデータ化したJosieの特徴を利用してJosieのように振る舞えるーその出来栄えに満足する。そして母親の痛みを理解できるKlaraはJosieになりきる準備という、親友としてJosieに幸せを与えるという役割とは相反する使命も負うことになるのだ。

Klaraは太陽の力を信じていた。Klara自身もソーラーパワーで機能しているのだが、AFショップのショーウィンドーから、動かなくなっていたホームレスとその犬が翌日元気になったのを見て太陽の恩恵だと信じていた。太陽が持つエネルギーは、植物の成長を促すように人間に対しても豊かな滋養があると考えていたのだ。Klaraは親友のJosieにもその恩恵がもたらされるよう太陽に何度も働きかける。そしてJosieの快癒の希望が失われたかに見えたとき、力無く横たわるJosieのうえに燦々と太陽が降り注いだのだ。
そしてJosieは意識を取り戻した…

さてこの先、この物語が問いかけてくるものがとても深い。
人と人を生きやすくするために人によって作られたロボット。そのロボットが限りなく人に近いものになっていく。そしてある意味人がなりえない、人にとっての理想の存在となっていく。しかしそれはどこまでも人にとって都合の良い便利なモノ。

人のエゴ、倫理観…日頃ふっと意識に浮かんでは消える疑問を突きつけられたような終盤。

今私達が直面している様々な問題は私達自身が生み出したものなのだと。森羅万象すべてが人のために存在するって思い込んでいるのではないか?人って何なんだろう、生きるって?

児童書のような親しみやすいタイトルに隠された深淵。
拙い英語力で読み飛ばしもあるはず。そんな時はいつもならすぐに読み直すのだが、それが憚られるほど、ずっしりと疲労を感じる作品だった。


摂津の玉川いろいろ

摂津の玉川は六玉川シリーズの一つとして長年にわたって人気のある画題。

ところで、詩歌に歌枕がつかわれるように浮世絵風景画にも土地ごとに決められた風物がある。その土地特産の植物や景色(ランドマーク)、古くから和歌に詠まれた枕詞などを継承して使われていたようだ。江戸の人々は草双紙や口コミなどから情報を得てこうした浮世絵の風物を見ただけで名所を判別できたのだろう。

摂津の玉川の風物は「うのはな」と「砧打ち」。摂津の里がある大阪府高槻市のサイトによれば、「うのはな」の和名は「ウツギ」といい、「砧」は「打つ木(ウツギ)」なので「うのはな」とつながるとのこと。

浮世絵のテーマとしては「砧打ち」風景が取り上げられることが多いようだ。
今回はボストン美術館のアーカイブから「摂津国擣衣の玉川」をテーマにした作品を3作品。

1)鈴木春信作品

鈴木春信画 (1766-1767頃) 
六玉川 「壔衣の玉川 摂津の名所」
資料番号: 50.3601 Museum of Fine Arts, Boston 所蔵

親子だろうか、装いから年齢差がみられる女性二人が砧打ちをしている風景だ。ふっくらとした面差し。木槌を持たせるのは気の毒なほど華奢な手。若い娘の振り袖は帯の結び目に差し込まれて腕を動かしやすくしている。ゆったりとした着物と帯の線のながれからのぞくスッとした首筋、いかにも可憐だ。砧打ちをしていると言うよりも楽器を奏でているような、どこか浮世離れした優雅さと儚さが入り混じった空気。名所画風のタイトルですがやはり美人画におもえる。窓には源俊頼(ここでは相模)の和歌「松風の音だに秋はさびしきに衣うつなり玉川の里」が添えられている。

2)歌川広重作品

歌川広重画 (1835–1836頃) 諸国六玉川 摂津擣衣之玉川
資料番号: 21.9959
Museum of Fine Arts, Boston 所蔵

広重作品は名所絵。砧打ちが摂津擣衣の玉川の風物として描かれている。ここでも女性二人が向き合って(一人は幼子をおぶって?)砧打ちの作業をしている。満月に照らされて雁が渡り、初秋の北風にススキが靡くなかの砧打ち。田舎の素朴な日常が季節感ある詩情に富んだ風景として描かれている。そしてここでも俊頼の和歌が添えられている。
そして刷り上がったばかりのような瑞々しい色彩。それもそのはず、この作品はスポルディング・コレクションの1作。実際に鑑賞するのぞみが持てないのがとても残念だ。

3)喜多川歌麿作品

喜多川歌麿画 (1804頃) 風流六玉川 摂津
資料番号: 11.1969
Museum of Fine Arts, Boston 所蔵

この作品は6作品の続き物。こちらの砧うちは紅葉がハラハラと散る秋の風景だ。木槌ちを担ぐ女性に布を持つ女性、そして座っている女性が砧打ちをしている。背景の川は国芳の《六玉川 摂津国擣衣の玉川》と同様に続き物6作品にまたがって一筋の川が流れる手法。ただこの「風流六玉川」では、一筋の川が6箇所の玉川すべてを意味しているらしい。
国芳の砧打ちは牧歌的情緒を感じさせる風景ですが、こちらは市井の砧打ちの雰囲気を感じる。砧打ちの女性のしどけない姿など歌麿の女性たちの艶っぽさは江戸の香りをまとっている。 作品としては、美人大首絵で一斉を風靡した1790年代の絶頂期に比べると緻密さや品格が薄れて、むしろ退廃の空気が漂う。稀代の敏腕プロデューサー蔦屋重三郎ととも独自の表現を生み出した歌麿だったが、この作品年の頃蔦重はすでに亡く、執拗な出版規制の咎に力尽つきてきた時期かもしれない。

同じテーマを取りながらも三者三様の面白みだ。

<参考サイト>

歌川広重《諸国六玉川 摂津擣衣之玉川》 Museum of Fine Arts, Boston
https://bit.ly/3vCjDS7(4/29/2021閲覧)

喜多川歌麿《風流六玉川 摂津》Museum of Fine Arts, Boston 所蔵
https://bit.ly/3tcdomq(4/29/2021閲覧)

鈴木春信《六玉川 「壔衣の玉川 摂津の名所」》Museum of Fine Arts, Boston
https://bit.ly/3tbRQGm(4/29/2021閲覧)

高槻市 街にぎわい部 文化財課 2012「33.摂津の玉川」『高槻市インターネット歴史館』
https://bit.ly/3ewUXmQ(4/27/2021 閲覧)



六玉川のひとつ、摂津の玉川

国芳の《摂津国擣衣玉川》の内容を見ていこう。

手元の作品には作品名がない。先日お話したとおりこの作品は3枚の揃いもので、他の2作のうちの1作に題名が記されている。

こちらがボストン美術館所蔵の完全版。

並べてみると紙から紙への絵柄の連続性がよくわかる。向かって右の作品に《摂津国 擣衣の 玉川》とタイトル。摂津国は現在の大阪府北西部と兵庫県南東部。擣衣(とうい)とは砧打ちのことだ。

一勇齋国芳画 六玉川 摂津国擣衣の玉川 (1847~1852)
資料番号: 17.3211.29 (右), 17.3211.30 (左), 17.3211.31 (中央)  
Museum of Fine Arts, Boston 所蔵

MFA作品では女性たちの奥に鮮やかな青色のうねりがみえる。タイトル付きの作品が山に近い川上で、左に向かって川下となり川幅が広がっている。手持ちの作品(下)は川も川岸も青の濃淡で彩色されているが、MFA作品は川岸が緑色の濃淡で随分印象が違う。

一勇齋国芳画 BlueIndexStudio所蔵

玉川の「玉」とはうつくしいという意。海外美術館収蔵作品は玉川が「Jewel River」と英語訳されている。まれに見る美しさで貴重な川というイメージだろうか。
古くから日本各地の美しい川6ヶ所を六玉川と呼んでいた。山城国井手(京都府井手町)、近江国野路(滋賀県草津市)、武蔵国調布(多摩川)、陸前国野田(宮城県塩釜市から多賀城市)、紀伊国高野(和歌山県高野山)、そして摂津国三島(大阪府高槻市)の6箇所だ。

うちの作品は見ての通り揃物の中央に置かれる作品。この女性は筵に座って作業中。砧打ちといわれるこの仕事、手に持った木槌で砧と呼ばれる木製(石の場合もある)の台に巻きつけられている布を打っている。この作業をすることで布に光沢がでて柔らかくなるのだ。子どもを背負っての作業でこの量はかなり骨が折れるだろう。左の女性は作業が終わったものを持ち去ろうとしているのか。右の振袖姿の若い女性の奥にもむしろに座って砧打ちをする二人の女性が描かれている。

高槻市の公式サイトによれば三島の玉川は「砧の玉川」ともよばれる。砧打ちは古くから女性の仕事。秋の夜長の砧打ちの音が素朴で趣があることから詩歌にも多くとりあげられた。なかでも浮世絵でよく見かけるのがこの和歌。

松風の音だに秋はさびしきに衣うつなり玉川の里 
源俊頼 「千戴和歌集」より

秋の夜長のしっとりした空気と物悲しさが感じられる。

<参考サイト>
「摂津国」『コトバンク』
https://kotobank.jp/word/摂津国-87376(4/27/2021 閲覧)

高槻市 街にぎわい部 文化財課 2012「33.摂津の玉川」『高槻市インターネット歴史館』
https://bit.ly/3ewUXmQ(4/27/2021 閲覧)

《六玉川 「摂津国檮衣の玉川」》Museum of Fine Arts Boston
https://bit.ly/2S6ruZu(4/27/2021 閲覧)

柳沢敦子 2011「「多摩」か「玉」か 六玉川へ」『朝日新聞 ことばマガジン』
https://bit.ly/2QE6g4W(4/27/2021 閲覧)

「摂津国檮衣玉川」

しばらく役者絵の謎解きが続いたので、少しのんびりとした錦絵を選んでみた。

一勇齋国芳画 BlueIndexStudio所蔵

まずは基本情報から。

作品名:摂津国擣衣玉川(せっつのくに とういのたまがわ)
板元:佐野善(佐野屋喜兵衛 喜鶴堂)
落款:一勇齋国芳画
絵師:国芳
押印:なし
改印:衣笠・濱(名主双印の時代)
出版時期:;1847(弘化4)年~1852(嘉永5年) 

この作品は三枚揃いの続き物の一作で、完全版はボストン美術館のアーカイブでも確認できる。

幼子をおんぶしながら砧打ちをする女性。子どもは少し飽きてきた?それともお腹が空いた〜?足を踏ん張ってなにか訴えているようで、女性は仕事の手を止めて思わず振り返っている。なんともほのぼのとした風景だ。
武者絵に長けた国芳の別の一面、国芳はほのぼの系もいい。

<参考サイト>
ボストン美術館:https://bit.ly/3xwpPgf(4/27/2021閲覧)

お気に入りの紅茶

コーヒーもお茶もという点で二刀流といえるかもしれない。お茶もカテゴリー毎に好きなブランドがある。COVIDパンデミックの弊害で我が家の好みの常備紅茶が切れてからかれこれ一年。やっとオンラインで購入が可能になった。

今回は初めて簡易ボックスの包装をオーダーした。届いたものを検品しているとパッケージの後ろに「Okakura Kakuzo」!
なんと岡倉覚三著『茶の本』からの引用が添えられているのだ。

岡倉覚三は日本では東京芸大の創立に貢献し、アメリカではボストン美術館日本美術部門の設営に尽力した。ボストン美術館には彼の号「天心」を冠した小さな日本庭園Tenshin-en(天心園)もある。

『茶の本』は岡倉が英文で執筆した4作(『東洋の理想』『日本の覚醒』『東洋の覚醒』と本作)のうちの1冊。1904−5年にかけて書かれ1906年にニューヨークの出版社Duffield & Companyから刊行された。茶道をテーマに物心両面の日本文化が茶をとおして語られています。ちなみに1904年3月岡倉はボストン美術館の中国・日本部顧問に就任している。

「Meanwhile, let us have a sip of tea… Let us dream of evanescence and linger in the beautiful foolishness of things. – Okakura Kakuzo, The book of tea」

「その間に一服のお茶をすすろうではないか。… はかないことを夢み、美しくおろかしいことへの想いに耽ろうではないか。」
(岡倉天心著『茶の本』)

イギリスの紅茶のパッケージに使われているとは。ボストン美術館ファンとしては同館に縁の深い岡倉さんは以前から親しみも感じていた。思いがけないところで再会した気分だ。

あたたかいお茶をすするひとときの、えもいわれぬ脱力と幸福感。たしかに、瞬く間の壺中の天へと誘われているのかもしれない。
日本とイギリス、深いお茶愛は通じるものがあるようだ。

<参考文献>
岡倉天心 (涌谷秀昭 日本語訳)1994「茶の本」講談社学術文庫

芳瀧の似たもの探し 縁取りの巻+ 

芳瀧の妹背山、似たもの探しの第一弾と思わぬ発見の話。

まず、無いわけではないけれどあまり多くは出会わない、錦絵作品の「縁取り」に注目してみた。縁取りは他の絵師の作品にも見かける。幾何学模様、特に一方に三角形の底辺を並べてギザギザ模様の縁取りは多いデザインだ。
こちらの芳瀧作品もそのひとつ。

芳瀧筆『仮名手本忠臣蔵大切』(1873) AcNo: arcUP2391
立命館大学アート・リサーチセンター所蔵

このギザギザは模様は「だんだら模様」といわれるものだ。赤穂浪士の羽織の袖口や裾に見られる。この羽織は歌舞伎の衣装でも使われていたために一般にも容易に知られることになったようだ。多分そのためだろうが、絵師に関わらずこのだんだら模様の縁取りが「仮名手本忠臣蔵」に登場することが多い。絵草紙屋に多くの錦絵が並んでいても、遠くからもひと目で忠臣蔵の錦絵とわかるだろう。

仮名手本忠臣蔵は歌舞伎外題としてはとにかく集客が期待できる人気演目。錦絵の方もまた連作が多く芝居に負けない人気だったようだ。

さて本題はこちら。

「妹背山婦女庭訓」部分

芳瀧作品で縁取りのある作品もやはり仮名手本忠臣蔵。1865(慶応元)年の連作と1873(明治6)年の連作だ。いずれもだんだら模様で縁取られている。1873年は芳瀧の改姓のぎりぎり前だろうか。

しかしこの「妹背山」は青い長方形が規則的な空間を開けて連なっている縁取り。オンライン上の芳瀧作品をあちらこちら見て回ったが、これと同じ縁取りの作品はみあたらない。

ただ、こうして縁取った作品を見ていると、縁取りは仮名手本忠臣蔵のような連作に使われていることが多いようにみえる。

妹背山婦女庭訓も歌舞伎演目としてはどの時代にも人気がある。また、作品の題名に「巻の六 大尾」とあり、巻の一から巻の五も存在する連作であろうと想像する。

そこで縁取り探索は一旦中止して、連作があったかどうか、手がかり探しをはじめた。
すると、思いのほか簡単に手がかりがつかめた。

酒井好古堂(日本最古の浮世絵専門店とのこと)のサイトに、日本浮世絵博物館による芳瀧作品の総目録が掲載されている。その中に日本橋南詰本安版の《妹背山婦女庭訓》が「巻ノ壱」から「巻ノ六 大尾」まで6作品記載が確認できる。作品年は残念ながら空欄だ。

妹背山婦女庭訓は連作で存在しているのは確かなようだ。

<参考サイト>
浮世絵・酒井好古堂 (4/08/2021閲覧)
http://www.ukiyo-e.co.jp/64680/2021/01/

ARC浮世絵ポータルデータベース “芳瀧”(4/05/2021閲覧)
https://bit.ly/3fVKWCf

MFA “Yoshitaki”(4/08/2021閲覧)
https://collections.mfa.org/search/objects/*/yoshitaki

Japanese Woodblock Print Search “Yoshitaki”(4/04/2021閲覧)
https://ukiyo-e.org/search?q=Yoshitaki